【オノマトペ】「しっとり」はなぜケーキの誉め言葉になったのか——「ぱさぱさ」との対比に見る食感語の価値観

料理と言語

「しっとり」は、もともと食べ物をほめる言葉ではなかった。

え、そうだったの?と思う人も多いだろう。

今やケーキやパンの誉め言葉の代表格だが、この言葉の”出世”には意外な経緯がある。

🍳 今回のテーマ

「しっとり」はなぜケーキやパンの誉め言葉になったのか。同じ水分量を表す「ぱさぱさ」との対比から、食感語に宿る価値観を読み解く。

「しっとり」はもともと風景の言葉だった

「しっとり」は動詞「湿る」から派生した擬態語で、本来は空気や情景の落ち着きを表す言葉だった。

戦前・戦中の文学作品では「しっとりした夜」「しっとりした佇まい」のように、湿り気を帯びた静けさや情緒を描写する言葉として使われていた。

食べ物の水分量を表す言葉として定着したのは、実はそれよりずっと後のことである。

「超熟」が変えた食パンの価値観

「しっとり」が食感語として一気に広まった転機の一つが、1998年に山崎製パンが発売した食パン「超熟」だとされる。

それまでの食パンは「ふわふわ」の軽さが評価軸の中心だったが、超熟は生地の水分を保つ製法を打ち出し、「しっとり」を前面に押し出した広告展開を行った。

この成功以降、菓子パンや食パンの商品名・パッケージに「しっとり」という言葉を冠する商品が急増していく。

乾いた軽さより水分を保った密度を評価する、日本人のパン観の転換点がここにあった。

💡 裏話

「超熟」の商品名自体、長時間発酵によって水分を抱え込んだ生地を指す造語だった。パン業界では今も「しっとり系」と「ふわふわ系」が主要な2大テクスチャー軸として扱われている。

同じ水分量が、なぜ「ぱさぱさ」だと台無しになるのか

興味深いのは、「しっとり」も「ぱさぱさ」も、物理的にはどちらも生地の水分量を指す言葉だという点だ。

水分が適度で弾力を保っている状態は「しっとり」と称賛され、水分が失われてぼそぼそと崩れる状態は「ぱさぱさ」と酷評される。

つまり同じ軸の上にある物理量が、期待値との差によって正反対の評価語に振り分けられているのである。

「ぱさぱさ」の破裂音「ぱ」の連続は、乾いた軽さや粗さを想起させる音象徴を持ち、これが否定的な響きを強めている。

🔤 言語的視点

日本語の食感オノマトペには、同じ物理特性を軸にしながら程度や文脈によって評価が逆転する対義ペアが多い。「しっとり/ぱさぱさ」「もちもち/べたべた」などがその代表例である。

化粧品にも広がった「しっとり」の価値観

「しっとり」の適用範囲は食べ物だけにとどまらない。

1970年代以降の化粧品広告では「しっとり肌」という表現が定番化し、乾燥を防いだ潤いのある肌状態を指す言葉として浸透した。

食感語がスキンケアの評価軸にまで越境した背景には、「しっとり」が持つ”手触りのよさ”という感覚的なイメージの強さがある。

一つの言葉が食品からコスメへと領域を横断する現象は、日本語の食感語の応用力の広さを物語っている。

「しっとり」が風景の言葉から食べ物の誉め言葉へ、そして肌の言葉へと広がった道のりは、一つの擬態語が時代の価値観を映す鏡になり得ることを示している。

次にケーキを「しっとりしてる」と褒めるとき、その言葉の裏にある80年代・90年代のパン業界の転換を思い出してみてもいいかもしれない。

📝 まとめ

「しっとり」はもともと情景を表す言葉だったが、1998年の「超熟」以降、パン・菓子の誉め言葉として定着した。同じ水分量を指しながら評価が正反対になる「ぱさぱさ」との対比が、日本語の食感語に宿る価値観の面白さを教えてくれる。

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