ワインといえば、フランスやイタリアを思い浮かべる人が多いだろう。でも日本ワインの歴史を調べていくと、なんとも不思議な出発点に行き着く。
「山梨でワインを作れ」——これは民間の起業家が思いついたビジネスアイデアではない。明治政府が国策として命じた、上からの産業育成だったのだ。
現在、山梨県は日本最大のワイン産地として知られ、勝沼・塩山エリアのブドウ畑は観光地にもなっている。しかしその礎を作ったのは、民間の情熱でも、農家の知恵でもなく、「富国強兵」をめざした明治政府の号令だった。
📌 この記事でわかること
- なぜ明治政府は山梨でワインを作ろうとしたのか
- 「大日本山梨葡萄酒会社」とはどんな組織だったのか
- 国策ワイン産業がどのように山梨の文化として根付いたのか
- 日本ワインが世界に認められるまでの150年の道のり
明治7年、政府が「ワインを輸出せよ」と動いた
1874年(明治7年)。日本はまだ開国から20年も経っていない。西洋文明の吸収に必死だった明治政府は、輸出産業の育成を急務と考えていた。生糸・茶・絹織物に次ぐ輸出品として目をつけたのが、ワインだった。
当時の日本政府は「内藤新宿試験場」でブドウの試験栽培を始め、勝沼(現在の甲州市)を有望な産地として選んだ。もともと江戸時代から甲州ブドウの産地として知られていた地域で、地理的な目のつけ方は正しかった。
🕵️ 業界の裏側
当時の政府内では「ワインは輸出できる贅沢品」として捉えられていた。生糸・茶に次ぐ第3の稼ぎ柱を育てようという発想だ。現代でいえば、国が特定の地域に「AI産業を育てよ」と命じるようなものだった。
「大日本山梨葡萄酒会社」——国策会社の誕生
1877年(明治10年)、政府の後押しを受けて「大日本山梨葡萄酒会社」が設立された。資本金の調達には山梨の有力農家や商人が参加したが、技術指導はフランスから呼んだ専門家に頼るという「官民一体・技術は西洋」という体制だった。
政府は高山昇と土屋助次郎という2人の若者をフランスに派遣し、ワイン醸造技術を学ばせた。帰国後、この2人が持ち帰った知識が山梨のワイン産業の原点になる。
🌀 都市伝説チェック
「山梨のワインは江戸時代からある」という話を聞くことがあるが、それは甲州ブドウの栽培の話。本格的なワイン醸造(発酵・熟成・ボトリング)を始めたのは明治時代の国策会社が最初だ。
最初は失敗だらけ——それでも続けた150年
順風満帆だったわけではない。フランスと日本では気候が異なり、ヨーロッパ品種のブドウは日本の高温多湿に弱かった。発酵管理の技術も未熟で、酸っぱすぎたり濁ったりするワインも多かった。
大日本山梨葡萄酒会社は10年ほどで経営が行き詰まり解散するが、そこで培われた醸造技術と、各地に生まれた民間醸造家の情熱が産業を引き継いだ。国策が種を蒔き、民間が花を咲かせたという構図だ。
💭 そういえば確かに
スーパーで見かける国産ワインの多くが山梨産だったり、「甲州」というワイン品種名を目にするのは、この150年の歴史が背景にある。名産品って、偶然じゃなくて意図と歴史の積み重ねなんだ。
甲州ブドウが世界舞台に立った日
長らく「国産ワインは安っぽい」というイメージがあった日本ワインが、世界で評価されるようになったのは21世紀に入ってから。特に「甲州」という白ブドウ品種が、2010年に国際ワイン機構(OIV)に日本固有品種として登録されたことが大きな転換点になった。
2013年には甲州ワインがロンドンの国際コンクールで金賞を受賞。「日本ワインはレベルが低い」という偏見が一気に崩れ始めた。明治7年に政府が蒔いた種が、140年後にようやく世界市場で花開いたとも言える。
🕵️ 業界の裏側
「日本ワイン」と「国産ワイン」は法律で区別される。日本ワインは国内産ブドウ100%使用。一方「国産ワイン」は輸入した濃縮果汁などを使っても名乗れた(2018年の規制強化まで)。ラベルの確認が大事。
「国が産業を作る」という発想の面白さ
山梨のワイン産業の歴史を振り返ると、「国策が産業を生む」というパターンが見えてくる。現代でも半導体産業の国内回帰や、EVバッテリーの国産化など、政府主導の産業育成は続いている。山梨ワインはその最古の成功例のひとつかもしれない。
「うまいワインが飲みたい」ではなく「輸出できる産業を育てたい」という動機から始まったのが面白い。消費者の嗜好から生まれた産業ではなく、国家の経済戦略から生まれた産業。それが今、観光地の風景とグラスの中の香りを作っている。
📋 この記事のまとめ
- ✅ 山梨のワイン産業は1874年(明治7年)の国策として始まった
- ✅ 「大日本山梨葡萄酒会社」が政府後押しで設立され、フランスから技術を導入した
- ✅ 国策会社は10年で解散したが、産業の種は残り民間に引き継がれた
- ✅ 甲州ブドウは2010年にOIVに登録され、国際的に認められた日本固有品種となった
- ✅ 「消費者の需要」ではなく「輸出振興という国家戦略」が産地を生んだ
山梨のワインを飲む機会があったら、そのグラスの向こうに明治政府の役人と、フランスに渡った2人の若者の苦労を想像してみてほしい。国策というやや堅い言葉が、ワインをぐっと味わい深くしてくれるはずだ。



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