料理人2年目のある日、シェフに言われた。「おまえ、店の包丁もちゃんと研いでおけよ」。
自分の包丁は買ったばかりでそこそこ切れていた。でも職場の共用包丁は全然切れない。
玉ねぎを切っても刃が逃げる。キャベツが潰れる。
研がないといけない——そう思って先輩たちに聞いて回った。先輩Aは「10円玉を2枚重ねたくらいの高さで角度をつけろ」。
先輩Bは「裏は1回だけでいい」。先輩Cは「表と裏、同じ回数ずつ研ぐんだよ」。
全員、違うことを言っていた。
本を買って読んだ。それでも腑に落ちなかった。
「だったらプロに直接聞くしかない」と思い立って、本物の研ぎ師さんのところへ会いに行った。これが私の研ぎの転機になった。
この記事はその経験をもとに書いている。なぜ先輩の答えがバラバラだったのか、そして洋包丁の研ぎで本当に大事なことを全部書く。
長いけれど、読み終わる頃には砥石を持ちたくなっているはずだ。
📌 この記事でわかること
- なぜ先輩たちの研ぎ方がバラバラで、それでも全員正しい理由
- 洋包丁(牛刀・ペティ・筋引き)に特化した研ぎの考え方
- 角度・二段刃・蛤刃の違いと、自分に合った研ぎの設計法
- 研ぎ師直伝・油性ペンで角度のズレを目で確認する練習法
なぜ先輩の答えは全員バラバラだったのか
答えは後になってわかった。全員「自分の前提条件の中では正しいことを言っていた」のだ。
先輩Aの「10円玉2枚」の角度は洋包丁の両刃を想定した話。先輩Bの「裏は1回」は和包丁(片刃)の研ぎ方に近い考え方。
先輩Cの「両面同じ回数」は洋包丁の対称的な研ぎを指していた。誰も「和包丁の場合は」「洋包丁の場合は」という前提を言わなかった——ただ自分が普段やっていることを話しただけだ。
研ぎに「絶対の正解」はない。あるのは「自分の前提条件に合った正解」だ。
この記事では洋包丁——牛刀・ペティ・筋引きを前提に話を進める。和包丁(出刃・柳刃など)は別の話になるため、ここでは触れない。
👨🍳 私の場合
私が使っているのは全部洋包丁だ。牛刀を2本、ペティ、筋引きと用途によって使い分けている。研ぎ方も包丁ごとに変えている。その話は後のセクションで詳しく書く。
研ぎ師の現場で見た「砥石の本当の役割」
研ぎ師さんの作業場には、想像とまったく違う道具があった。大きなベルトが高速で回転する機械——ベルトグラインダーだ。
まずその機械に包丁を当てて荒削りの刃付けをする。大まかな刃の形はそこで作る。
そして最後の仕上げだけ砥石を使うのだ。「機械で形を作って、砥石で鋭さを出す。
」この言葉が刺さった。プロの研ぎ師でさえ砥石だけで全部やるわけじゃない。
砥石の本当の役割は「刃を研ぐ」ことではなく「刃を仕上げる」ことだ。
💡 例えるなら
大工が木材をノコギリで大まかに切って、最後にカンナで仕上げるのと同じ発想。砥石はカンナの役割だ。ノコギリとカンナを混同すると、どちらも中途半端になる。
研ぐ前に知るべき「刃の地図」——鎬・切り刃・刃先
包丁の断面には3つのゾーンがある。「鎬(しのぎ)」は側面の平らな部分で砥石で削るところではない。
「切り刃」は鎬から刃先にかけての斜面で砥石が当たる研ぎの主役だ。「刃先」が食材に実際に触れる最も薄い先端。
砥石を当てるのは「切り刃全体」——刃先だけ削っても形は整わないし、鎬まで削ると包丁の形が崩れる。
✅ ポイント
「切り刃全体を均一に砥石に当てる」——この意識ひとつで研ぎの精度はがらっと変わる。鎬でも刃先でもなく、その間の斜面が研ぎの主役だ。
角度は「思想」だ——鋭さと耐久性のトレードオフ
砥石に対して刃を寝かせるほど(低角度・10〜12度ほど)、刃は薄く鋭くなる。食材への抵抗が少なく、吸い込まれるような切れ味が出る。
ただし刃が薄い分、欠けやすい。逆に角度を立てるほど(高角度・15〜20度ほど)、刃は分厚くなり強度が上がる。
硬い食材に負けない。ただし切るときの抵抗が大きくなる。
👨🍳 私の場合
牛刀を2本使い分けている。1本はキャベツや玉ねぎなど柔らかい野菜専用で、かなり寝かせて薄く鋭い刃を付けている。もう1本はニンジン・ゴボウなど硬めの食材用で、少し角度を立てて強度を持たせた研ぎにしている。写真で2本の切り刃の幅の違いが見える——刃が薄い方は切り刃が広く、厚みのある方は切り刃が狭い。
包丁が1本しかないなら、中間の13〜15度で研いで万能性を持たせるのがいい。
「何を切るための包丁か」を先に決めてから砥石を持つ——この発想の転換が研ぎを本当に変えるきっかけになる。
二段刃と蛤刃——プロが使い分ける刃の「断面の形」
二段刃は切り刃に2段階の角度がある形。土台となる一段目の上に、鋭い小刃(二段目)が乗っている。
研ぐときは二段目だけ当てればいいので毎回研ぐ面積が小さく、角度を安定させやすい。蛤刃(はまぐりば)は断面が凸型のなだらかな曲線を描く形。
食材が刃に当たったとき曲線に沿って自然に逃げていく。切り口が滑らかで食材がくっつきにくく、耐久性も高い。
💡 例えるなら
二段刃は斧の刃のイメージ——分厚い土台の上に鋭い切っ先が乗っている。蛤刃はハマグリの貝殻の断面そのまま——なだらかな曲線が食材をスムーズに流す。1年目はまず二段刃をマスターしてから、蛤刃はその先のステップへ。
研ぎ師直伝——油性ペンで角度のズレを「見える化」する
角度をキープするのが難しいなら、ズレを目で見えるようにすればいい。使うのは油性ペン(マジック)だけ。
研ぐ前に、切り刃のラインに沿って油性ペンで線を引く。砥石で10往復ほど研いでから、ペンの跡がどこから消えているかを確認する。


ちなみにこの2本、包丁自体も別物だ。1本は堺孝行の牛刀で、とにかく軽くて手に馴染む。
長い仕込みでも疲れにくいので気に入っている。もう1本はグレステンの牛刀で、刃の側面に小さな凹みが並ぶ「ディンプル加工」が施されている。
この凹みが食材と刃の間に空気を入れて接触面を減らすため、玉ねぎやジャガイモといった張り付きやすい食材がすっと切り離れる。実際にかなり切りやすい。
包丁の個性が違う分、研ぎ方も変えている。
堺孝行は柔らかい野菜専用で寝かせて薄く鋭く、グレステンは硬い食材用で少し角度を立てて強度重視——この使い分けが、2本体制の本当の意味だと思っている。
✅ ペンの消え方で角度を判定する
- 刃先寄りにしか消えていない → 角度が立ちすぎ(刃先しか当たっていない)
- 鎬寄りにしか消えていない → 角度が寝すぎ(切り刃の上しか当たっていない)
- 切り刃全体が均一に消えている → 正解の角度
感覚だけで研いでいると、ズレに気づかないまま何十往復も無駄にする。私も今でも新しい包丁を研ぐときは必ずやる。
返りの取り方・仕上げ・切れ味の確認まで
研ぎが進むと刃の反対面に指でひっかかりを感じるものが出てくる——「返り(バリ)」だ。これを残したまま終わると、使い始めてすぐ刃先が折れ曲がって切れ味が落ちる。
返りの取り方は砥石の上で刃を「撫でる」ようにごく軽く数回引くだけ。力を入れると逆効果だ。
さらに革砥(かわとぎ)で仕上げると微細なバリが取れて刃が整う。
⚠️ 切れ味の確認は爪より「クズ野菜」で
以前は爪に刃を当てて確認していた。ただこれは感覚が微妙で実際の料理場面とズレる。今は野菜のヘタやクズ野菜で確かめるようにしている。実際に切る素材で試すのが一番正確だ。
砥石の番手と、私が勉強になった一冊
研ぎ方がわかってくると、今度は砥石の差が如実に出てくる。正しい角度で正しく動かしても、砥石がダメなら刃は立たない。
砥石には番手(粒度)があり、荒砥・中砥・仕上砥という役割分担がある。また砥石は使い込むと中央が凹んでくるため「面直し砥石」で定期的に平面を整えることも大切だ。
砥石選びについてはこちらの記事で詳しく書いた。
📚 研ぎの勉強に使った本
まとめ
📋 この記事のまとめ
- ✅ 先輩の答えがバラバラなのは「前提条件(包丁の種類・用途・目指す刃)」が違うから。全員正しい
- ✅ 研ぎに絶対の正解はない。「自分の前提条件に合った正解」を先に決める
- ✅ 刃の構造(鎬・切り刃・刃先)の地図を持って研ぎに臨む
- ✅ 角度は食材と用途に合わせて設計するもの——鋭さと耐久性はトレードオフ
- ✅ 1年目はまず二段刃をマスター。蛤刃はその先のステップ
- ✅ 油性ペン法で角度のズレを目で確認しながら練習する(研ぎ師直伝)
- ✅ 切れ味の確認はクズ野菜で。爪より正確で実践的



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