え、そうだったの?「ドリア」というレストラン料理、実はイタリアには存在しない。
バターライスにホワイトソースをかけて焼く、あの洋食のことだ。
名前の由来をたどると、16世紀ジェノヴァの海軍提督にたどり着く。
🍳 今回のテーマ
「ドリア」は昭和初期の横浜で生まれた純日本製の洋食。名前だけが遠いイタリアの貴族から借りてこられた、不思議な料理名の物語。
「ドーリア家」とは何者か
「ドリア」の名は、ジェノヴァの名門貴族ドーリア家に由来する。
16世紀に活躍した海軍提督アンドレア・ドーリアが、その名を後世に残した。
もともとフランス料理では、きゅうりを使った料理にドーリア家の名が冠されていた。
きゅうりの繊細な緑色が、貴族の気品を思わせたためとされる。
ところが、ワイルが横浜で作ったのは芝エビのクリーム煮とバターライスのグラタンで、きゅうりは使われていない。
なぜこの料理に「ドーリア」の名を当てたのか、本人による説明や公式な記録は見当たらないという。
有力とされる説の一つが、ワイルがフランス料理の「オマール海老のトゥールヴィル」を参考にしていたというものだ。
トゥールヴィルもまたフランスの海軍提督の名前で、海軍提督つながりでジェノヴァのアンドレア・ドーリアを連想したのではないか、とされている。
横浜ホテルニューグランドで生まれた即興料理
1927年に開業した横浜ホテルニューグランドで、初代総料理長の座についたのがサリー・ワイルというスイス出身のシェフである。
彼のメニューには「コック長はメニュー外のいかなる料理にもご用命に応じます」という一文が添えられていたという。
ある日、喉の調子が優れない外国人銀行家の客から、喉越しの良い一皿を頼まれる。
ワイルはとっさに、バターライスに芝エビのクリーム煮を乗せ、ホワイトソースとチーズをかけてオーブンで焼き上げてみせた。
これが評判を呼び、「Shrimp Doria」としてそのまま正式メニューに加わることになる。
実はこの厨房から生まれたのは、ドリアだけではない。
ワイルのもとで腕を磨いた弟子・入江茂忠が、同じホテルの厨房で考案したのが「ナポリタン」だった。
師のドリアと弟子のナポリタン——日本の二大洋食は、同じキッチンから巣立っている。
💡 裏話
サリー・ワイルはスイス出身の料理人だった。彼の故郷スイスにも、修行地のフランスにも、母国イタリアにも「ドリア」という料理は存在しない。つまりドリアは、どの国の郷土料理でもない、横浜だけで生まれた洋食なのだ。
名前だけが受け継がれるという外来語の法則
「ドーリア」という名前は、料理の中身ではなく格式や気品のイメージを借りて使われてきた。
きゅうり料理からライスグラタンへと中身が変わっても、名前だけが受け継がれた。
🗣️ 言語的視点
これは「ナポリタン」や「カステラ」のように、地名や人名が料理の実態を離れて一人歩きする、外来語の典型的なパターンといえる。中身が変わっても、響きの気品だけが生き残る。
「ドリア」は和製洋食の系譜に連なる
「ドリア」は、ナポリタンやオムライスと同じく、洋風の名前を持ちながら実際は日本生まれの料理だ。
横浜という開港都市が育んだ、西洋への憧れと創意工夫が結晶した一皿と言える。
「ドリア」という響きの奥には、実在した提督の名誉と、名もなき料理人の即興の知恵が重なっている。
一皿の洋食の名前が、遠いジェノヴァの海と昭和初期の横浜港をつないでいる。
✅ まとめ
「ドリア」はジェノヴァの名門貴族ドーリア家に由来する名前だが、本来「ドーリア風」はきゅうり料理を指す言葉だった。芝エビのグラタンになぜこの名がついたかは公式には分かっておらず、海軍提督つながりで名付けられたという説が有力視されている。料理自体は1927年、横浜ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイルが即興で生み出した純日本製の洋食で、同じ厨房から弟子・入江茂忠のナポリタンも生まれている。



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