名古屋名物の「ひつまぶし」は、特定の老舗が商標登録をしているのに、飲食店が料理名として使っても商標権の侵害にならない。
名前の由来を先に言えば、ご飯を入れる容器の「櫃」と、うなぎ飯を指す「まぶし」を合わせた言葉だ。
このちょっと不思議な立場は、名前を「櫃」と「まぶし」の二つに割ってたどっていくと見えてくる。
「櫃」と「まぶし」——名前を二つに割ってみる
ひつまぶしは、「櫃(ひつ)」と「まぶし」を合わせた名前だ。
櫃は、ご飯を入れて食卓に出す木製の容器、いわゆる「おひつ」のことを指す。
もう一方の「まぶし」は、刻んだうなぎをご飯にまぶす(全体にまとわせる)ことに由来する、というのが通説だ。ただし、由来には異説もあり、定まってはいない。
「まぶし」という言葉そのものは、じつは江戸時代からうなぎ飯を指す言葉として使われていた。
江戸末期の暮らしや食べ物を記録した随筆『守貞漫稿』には、「鰻飯は京坂(京都・大坂)でまぶし、江戸でどんぶりと言う」という趣旨の記述がある(どんぶりは、うなぎ飯を丼に盛ったもののこと)。
つまり、同じうなぎ飯を関西では「まぶし」、江戸では「どんぶり」と呼んでいた。ひつまぶしという名前には、関西側の呼び方の面影が残っているとも言える。
💬 言語的な視点
「櫃」は容器の名前で、「まぶし」は動作の名前。道具と動作を並べるだけで料理名ができあがるところに、「ざる蕎麦」「磯辺焼き」にも通じる日本語らしい命名の発想がある。
割れる丼から生まれた?蓬莱軒が伝える誕生物語
名古屋市熱田区の「あつた蓬莱軒」は、明治6年(1873年)に、東海道五十三次の41番目の宿場である宮宿(熱田神宮の門前町として栄えた宿場)で創業した料亭だ。
店が伝える由来はこうだ。当時は出前の注文が多く、空になった丼を回収するときに割れてしまうことがよくあった。
そこで2代目店主の甚三郎が、女中頭のお梅と相談して、割れにくい木製の櫃に数人前のうなぎ丼をまとめて届けることを思いついたという。
ところが、客はうなぎだけを先に食べてしまい、ご飯が残るようになった。
そこでうなぎを細かく刻んで、あらかじめご飯に混ぜて出したところ好評になり、会席料理(酒席で順に出るコース料理)の〆、つまり最後のご飯ものとしても定着した、と店は説明している。
これはあくまで店に伝わる由来だ。次に見るように、「最初の一杯」をめぐっては別の説もある。
もう一つの店と、活字に残った1964年
ひつまぶしの発祥を名乗るのは、蓬莱軒だけではない。
名古屋市錦三丁目の「いば昇」は、成立を大正時代としている。蓬莱軒は明治時代としているので、両店の主張は時期が一致しない。
文献でたしかめられる最も古い例とされるのは、昭和39年(1964年)に創元社から出た『名古屋味覚地図』だ。
その「いば昇」の項に、漢字まじりの「櫃まぶし」という表記が確認できる。
このほか、うなぎの型崩れした部分や切れ端を無駄にしないための工夫から生まれた、という説もある。
始まりの時期も、明治以前とする説から第二次世界大戦後の食糧難の時代とする説まで揺れていて、いまのところ誰がいつ最初に作ったのかは特定されていない。
登録商標なのに、誰でも使える名前になった
「ひらがな5文字」の「ひつまぶし」は、昭和62年(1987年)11月20日に、蓬莱軒が商標として登録した。
ただし当時の商標は、サービス(役務)を対象にしておらず、登録は食品の区分(第29類・第30類)だった。
商標は、商品やサービスの名前を独占的に使える権利で、食品とレストランなどの飲食サービスは別の区分で扱われる。
その後、蓬莱軒は飲食物の提供(第43類)についても出願したが、拒絶された。2008年6月9日に確定した審決でも、その判断は維持されている。
理由は、「ひつまぶし」がうなぎ料理を出す飲食店で、料理名としてすでに一般的に使われているから、というものだ。
こうして、登録自体は残りながら、飲食店が料理名として「ひつまぶし」と掲げても商標権侵害にはならないことが確定した。
🍡 豆知識
ふつうは店が名前を作り、名前が料理を指す。ひつまぶしはその逆で、料理が全国に広まりすぎたせいで、名前のほうが「みんなの言葉」になった珍しい例だ。
✅ まとめ
「ひつまぶし」は、容器の「櫃」と、うなぎ飯を指す江戸以来の「まぶし」を合わせた名前。誕生の経緯は蓬莱軒の「割れる丼」説、いば昇の大正説、切れ端活用説などに分かれ、確定していない。名前は商標登録されながらも、料理名として広く定着し、誰でも使える言葉になった。



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