湯気の立つおでん鍋の前で、常連客が「巾着ふたつ」と注文する。
店主は迷わず、餅の入った油揚げの袋を皿にのせる。
だがよく考えると、なぜこの一品は財布と同じ名前で呼ばれているのだろうか。
「巾着」は何を「着る」のか——漢字が語る本来の意味
「巾着」の「巾」は、頭巾や布巾にも使われる字で、もともとは「布切れ」という意味を持つ。
「着」はそのまま「身に着ける」の着である。
つまり「肌身離さず身に着ける布切れの袋」だから「巾着」と呼ばれるようになった、というのが語源の定説だ。
起源をさらにさかのぼると、火打ち石や火打ち金を持ち歩くための「火打ち袋」が変化したものだといわれている。
マッチもライターもない時代、火種を起こす道具はお金と同じくらい大切な携行品だった。
やがて金銭だけでなく、お守りや薬、印章まで入れる万能の袋物になっていく。
江戸っ子の財布は、帯からぶら下がっていた
江戸時代の着物にはポケットがない。
だから庶民は、紐のついた巾着に小銭を入れ、帯からぶら下げて持ち歩いていた。
需要が高まると「袋物屋」という商売が生まれ、印籠師(薬入れの印籠を作る職人)や紙入師(紙入れ職人)と並んで巾着師という専門の職人まで登場した。
革やラシャ(厚手の毛織物)、高級織物を使った華美な一点物が仕立てられるようになる。
面白いのは、この贅沢が表立ってはいなかったことだ。
力をつけた町人の消費を抑えようと、江戸幕府はたびたび奢侈禁止令(贅沢な服や持ち物を禁じ、倹約を強いる法令)を出し、布地の種類や染め色まで細かく規制した。
そこで町人たちは、表向きは質素に見せながら、裏地や小物にこっそり贅を凝らす方向へ向かう。
人目につきにくい腰の巾着は、そうした「隠れ贅沢」の格好の対象だったと考えられている。
💡 豆知識
実は「チャック」という呼び名も巾着がルーツだという説がある。1927年頃、広島の企業が国産ファスナーを売り出す際、巾着のように口をしっかり締められることから「ちゃく」をもじって「チャック印」として販売したところ、その名が定着したといわれている。
スリが「巾着切り」と呼ばれるようになった理由
帯からぶら下げるという携帯法には、弱点もあった。
紐を切って袋ごと持ち去ってしまえば、それで盗みは成立してしまう。
江戸の町では、この手口で財布を狙うスリが多発した。
そこからいつしか、スリそのものを指す言葉として「巾着切り」という呼び名が定着していった。
財布を持ち歩く道具だった巾着が、犯罪の呼び名にまで転用されたわけだ。
🔤 言語的視点
巾着という形の見立ては、日本語のあちこちに広がっている。腰から離さず持ち歩く様子から「腰巾着」(目上の人にべったりくっつく人)が生まれ、触手を縮めた姿が巾着の口に似ていることから海の生き物は「磯巾着」と名付けられた。花の形が似ている草花は「キンチャクソウ」と呼ばれる。ひとつの道具の形が、人・生物・植物にまで名前を貸しているのは興味深い。
なぜ、油揚げの料理まで「巾着」になったのか
ここまで来ると、おでんの具の名前の理由が見えてくる。
油揚げに餅などの具を詰め、口を干瓢(かんぴょう。夕顔の実を薄く削って干した紐状の食材)で縛って閉じる。
ふっくらと膨らんだ袋の形と、紐できゅっと口を絞める仕草。
どちらも、江戸っ子が帯からぶら下げていたあの巾着袋にそっくりだ。
だからこそ、この一品は財布の名前をそのまま譲り受けて「巾着」と呼ばれるようになったと考えられている。
財布を意味した言葉が、江戸の暮らしから消えたあとも、鍋の中の一品としてその形と名前だけを残しているのは面白い。
🍳 まとめ
「巾着」はもともと、布切れを身に着ける袋を指す言葉だった。江戸時代には財布そのものとして帯からぶら下げられ、盗まれれば「巾着切り」という物騒な言葉まで生んだ。その袋の形と、口を紐で結ぶ仕草が、油揚げに具を詰めたおでんの一品に受け継がれ、今も「巾着」という名前で鍋の中に残っている。



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