「鴫焼き」という料理名を聞いたことがあるだろうか。
茄子に味噌を塗って炙っただけの、素朴な田楽(野菜や豆腐に味噌をつけて焼く料理)の一種だ。
ところがこの料理、鴫(シギ)という鳥の肉は一切使っていない。
それなのになぜ、鳥の名前が茄子料理についているのだろうか。
🍆 今回のテーマ
江戸時代からずっと”名前だけ鳥”の茄子料理として親しまれてきた「鴫焼き」。その裏には、戦国時代の武家料理にまでさかのぼる意外な変遷史が眠っている。
江戸の「鴫焼き」は、正真正銘の茄子料理だった
寛永20年(1643年)に刊行された『料理物語』は、日本で初めての本格的な料理書とされる。
その中に「鴫やき」の項目があり、「なすびを茹でて、よきころに切り、串に刺し、山椒味噌をつけて焼くことなり」と記されている。
江戸時代中期になると、茄子に油を塗ってから味噌田楽にしたり、山椒や柚子、唐辛子を加えた味噌を合わせたりと、レシピの幅も広がっていった。
だが作り方が変わっても、材料はあくまで茄子。鴫の肉はおろか、他の鳥肉すら使われていない。
江戸の人々も、実は同じ疑問を持っていた
鴫という鳥は、日本では古代から食用にされてきた。
中世の饗応膳(客をもてなす正式な宴の膳)には”美物”(ごちそうの意)として登場し、『料理物語』でも汁物・煎り焼き・焼鳥・味噌煮込みなど、主要な食用鳥として扱われている。
つまり、肉食を避けるために茄子で代用した、という話ではなさそうだ。
この謎は江戸時代の人々にとっても不思議だったらしく、江戸後期の学者・喜多村信節は随筆『瓦礫雑考』の中で「今のしぎ焼きは、鴫壺焼(しぎつぼやき)が転じたもの」と説明を試みている。
戦国時代にさかのぼる、幻の一品「鴫壺」
喜多村が名前を挙げた「鴫壺」は、戦国時代の武家の料理伝書に実在する。
1535年の『武家調味故実』には、漬け茄子をくり抜いて壺の形にし、中に調理した鴫肉を詰め、柿の葉で蓋をして藁で縛り、石鍋で酒煎り(酒で煮詰める調理法)にする料理が載っている。
仕上げには蓋にシギのくちばしを刺し、丸ごと一羽の鴫に見えるよう仕立てたという。
同じ頃の伝書『大草殿より相伝の聞書』には「鴫の壺入り」が載る。
ここでの「壺」は茄子そのものを指し、代わりに茄子の形をした木の壺を使ってもよいと記されている。
中からシギ肉を取り出して食べる作法まで書かれており、こちらもまだ本物の鴫肉入りだ。
ところが16世紀後半の『庖丁聞書』になると様子が変わる。
「鴫の壺焼」として載っているのは、生の茄子の上に枝でシギの頭の形を作って添えるだけの料理。
ここではもう、鴫の肉そのものは使われていない。姿だけが残ったのだ。
🈁 言語的視点
本物の鴫肉を、茄子という別の器に「見立てて」(本物に似せてこしらえて)仕立てる。この発想そのものが、後に名前だけを残す土台になった。
名前だけが生き残った理由
『武家調味故実』や『庖丁聞書』は、将軍や大名の台所を預かる専門の庖丁人が記した秘伝書だった。
手間のかかる技巧料理は、庶民の暮らしの中では生き残りにくい。
結局、鴫の姿を模す手間も、中に肉を詰める工程も消え、残ったのは「鴫」という名前の見立てだけだった。
洒落や言葉遊びを詠み込む狂歌の詠み手・唐衣橘洲(からころもきっしゅう)は、西行の有名な歌「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(『新古今和歌集』)をもじり、こう詠んでいる。
「菜もなき膳にあはれは知られけり 鴫焼き茄子の秋の夕暮れ」——秋の夕食のおかずが鴫焼き茄子だけ、というささやかな嘆きの歌だ。
四百年近く前の武家の技巧料理が、名前という一点だけを残して庶民の食卓に降りてきた。
今夜、茄子の味噌田楽を口にするときは、鳥のかたちに仕立てられた幻の一品を思い出してみてもいい。
🍆 まとめ
「鴫焼き」は鴫の肉を使わない茄子料理。戦国時代の技巧料理「鴫壺」が、鴫の姿を模す工程を失いながらも、名前だけの「見立て」として四百年後の今日まで残った。
💡 裏話
江戸前期の俳諧に「鴫炙(しぎやき)や 茄子なれども とり肴」という一句がある。中身は茄子なのに”とり(鳥/取り)”肴として扱われる、という洒落だ。



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