【命名の謎】「竜田揚げ」はなぜ「竜田」なのか——和歌の紅葉と軍艦、二つの説が競う衣揚げの謎

料理と言語

唐揚げと竜田揚げ、衣の違いは知っていても、名前の由来まで説明できる人は少ないのではないか。

片栗粉をまとわせた、あの赤みがかった衣は、いったい何を「竜田」に見立てたのだろうか。

🍳 今回のテーマ

「竜田揚げ」の名前の裏には、平安時代の和歌と、大正時代の軍艦という、時代も分野もまったく違う二つの由来説が眠っている。

唐揚げと竜田揚げ、衣の違いは何なのか

唐揚げは小麦粉や片栗粉、あるいはその両方を使うことが多いが、竜田揚げは基本的に片栗粉のみを使うと説明されることが多い。

醤油とみりん、生姜などで下味をつけてから片栗粉をまとわせて揚げると、赤茶色のまだら模様の衣に仕上がる。

この「赤みを帯びた衣」こそが、名前の由来を考えるうえでの出発点になる。

由来説①:百人一首の和歌に見立てた紅葉

竜田揚げの由来としてもっとも広く語られているのが、奈良県北西部を流れる竜田川にちなむという説だ。

竜田川は古くから紅葉の名所として知られ、平安時代の歌人・在原業平が「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という歌を詠んでいる。

百人一首の17番として今も知られる一首で、藤原高子に招かれた業平が、紅葉の流れる竜田川を描いた屏風を題材に詠んだ「屏風歌」(絵を見ながらその情景を歌に詠む形式)だったとされる。

歌の意味は、川面を流れる紅葉を、鮮やかな紅色に染め上げた絞り染め(布を糸でくくって染め、模様を出す技法)の布に見立てたものだ。

竜田揚げの赤茶色の衣と、そこに散る白い斑点が、この歌に詠まれた「紅葉が流れる川面」を思わせることから料理名になった、と説明されている。

由来説②:大正時代の軍艦「龍田」

もう一つ有力なのが、旧日本海軍の軽巡洋艦「龍田」を由来とする説だ。

龍田は1919年(大正8年)に竣工した天龍型軽巡洋艦の2番艦で、艦の司厨長(調理担当)が肉に小麦粉ではなく片栗粉をまとわせて揚げる調理法を考案し、それが艦名とともに「竜田揚げ」として広まったとされる。

小麦粉が不足していたためとも、クジラ肉の臭みを消すために工夫されたとも言われ、背景にはいくつかのバリエーションがある。

ただしこの説には異論もある。

竜田揚げという料理そのものは、龍田の就役以前からすでに存在していたのではないかという指摘があり、確定的な裏付けは取れていない。

💡 豆知識

テレビ番組で軍艦龍田説が紹介された際、視聴者から史実と異なるのではという問い合わせが局に寄せられたこともあるという。それほど、この二つの説は今も並立したままになっている。

決着のつかない二つの説をどう受け止めるか

和歌説と軍艦説、どちらも料理書や解説記事で根強く紹介されているが、当時の一次資料でどちらが正しいかを明確に裏付けるものは見つかっていない。

語源研究の分野では、複数の説が並立したまま定説化しないケースは珍しくない。

竜田揚げのように、味だけでなく「見立て」や「歴史的な逸話」まで背負って料理名が定着している例は、日本語の面白さそのものと言えるだろう。

🔤 言語的視点

料理名に和歌や情景を重ね合わせる「見立て命名」は、松風焼き(何もない裏面に武士の心を見立てた焼き物)や時雨煮(蛤の佃煮を通り雨に見立てた料理)など、和食の世界でたびたび使われてきた手法だ。竜田揚げもその系譜に連なる一例と言える。

📝 まとめ

竜田揚げの名前には、平安の和歌に由来する説と、大正の軍艦に由来する説という、時代も背景もまったく異なる二つの物語が息づいている。どちらが「正解」かは今も決着していないが、それこそが日本語の料理名の奥深さかもしれない。

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