おでんの鍋に、ちくわのような穴のあいた白い棒が沈んでいる。
ところが噛んでみると、魚の味は一切しない。
原料は魚ではなく、小麦粉です。
関東のおでんでおなじみの「ちくわぶ」は、名前の中に二つの食べ物が混ざっています。
先に答えを言うと、形は「竹輪」、粉の素性は「麩」から名前を借りた麺の仲間で、名前の由来そのものは確定していません。
「ちくわ」でも「麩」でもない——名前に混ざった二つの食べ物
ちくわぶは漢字で「竹輪麩」と書きます。
前半の「竹輪」は魚のすり身で作るちくわのことで、後半の「麩」は小麦のたんぱく質であるグルテンから作る、お吸い物や煮物に入れる軽い食材のことです。
ところが中身を見ると、どちらにも当てはまりません。
強力粉に水と少量の塩を加えて何度も練り、型に入れて約25分ゆでたものが、ちくわぶの正体です。
グルテンだけを取り出して作る麩とは違い、小麦粉そのものを使うため、厳密には麩ではなく麺(粉食)の仲間とされています。
つまり「竹輪」は見た目の借り物、「麩」は粉の素性の借り物という、二重の見立てでできた名前です。
💬 言語的な視点で見ると
「ちくわ」の「わ」は輪、つまり真ん中に穴のあいた形のことです。名前の前半は味ではなく形を写し取っていて、日本語の料理名に多い「形の見立て」の典型といえます。
何をまねたのか——「白ちくわ」説と「京生麩」説
名前の通り、ちくわをまねて作られたのだろう、というのがまず浮かぶ説明です。
比較食文化研究家の新井由己は、見た目がよく似ていて戦前まで比較的よく出回っていた「白ちくわ」をまねたものと推測しています。
白ちくわは焼き色をつけない白いちくわのことで、ちくわぶとよく似た見た目だったとされます。
一方、食品メーカーの紀文食品は、京生麩(京都の生の麩)が原型で、肉や魚を使わない寺の料理・精進料理の麩をもとに関東で作られたという説を示しています。
こちらは「麩」の字を重く見る考え方で、名前の後半に注目した説明です。
どちらも決め手となる記録はなく、いつ誰が作ったのかも分かっていません。
名前の二つの字が、そのまま二つの説の根拠になっているのが面白いところです。
記録をたどると、大正から昭和のおでん鍋にいた
確かな文献としては、1924年(大正13年)の『最新実用和洋料理』(村井政善著)の「おでんの拵へ方」に、里芋やこんにゃく、がんもどきなどと並ぶ具として登場します。
1937年(昭和12年)の『軍隊調理法』(旧日本軍の給食用の調理書)でも、「関東煮(おでん)」の材料として、がんもどきや大根と並んで「竹輪麩」が挙げられています。
大勢の食事をまかなう調理書に載っているのですから、昭和の初めにはすでに、広く使われていたことがうかがえます。
そばの勘定をごまかす有名な古典落語「時そば」で、ちくわの代わりにちくわぶを使う蕎麦屋の場面があり、落語家の三代目柳家小さんが演じたと伝えられています。
ただし、こちらは確かな文献が確認できないため、あくまで「そういう話がある」という程度に受け取るのが安全です。
なぜ関東にしかなかったのか——小田原で止まった境界線
ちくわぶは長く、東京を中心に埼玉・神奈川・千葉の一部でしか見られない食べ物でした。
関西で見かけるようになったのは、21世紀に入ってからとされています。
理由として、居酒屋が舞台のグルメ漫画『酒のほそ道』の作者・ラズウェル細木は、東西の境目を神奈川県の平塚と小田原の間に置き、練り物の本場である小田原では、ちくわの代用品が必要なかったのだろうと考察しています。
本物のちくわが手に入る土地では、ちくわのまねを食べる理由がなかった、という筋書きです(あくまで一つの考察です)。
もう一つ、西日本の昆布だしの薄い汁では、味のほとんどないちくわぶは物足りなかったのだろう、という見方もあります。
代用品の名前を背負って生まれた食べ物が、ついに自分の記念日を持つまでになりました。
🍢 豆知識:10月10日は「ちくわぶの日」
2018年に、ちくわぶ料理研究家の丸山晶代さんと、宮城県塩釜市の練製品メーカー・阿部善商店が共同で制定し、日本記念日協会に登録されました。「10」という数字を、棒状で穴のあいた形に見立てた日付です。
📝 まとめ
ちくわぶは、形は「竹輪」、粉の素性は「麩」から名前を借りた、麺の仲間です。語源には「白ちくわ」説と「京生麩」説があり、記録は大正末期のおでんまでさかのぼれます。関東にしか根づかなかった背景には、本物のちくわが手に入る小田原の存在があったと考えられています。



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