「リソレしろ」vs「絶対焼くな」。煮込みの肉を焼くかどうかで、先輩の言うことが真逆な件

鉄のフライパンで焼き色をつけた牛肉と、奥の赤ワイン煮込みとクリーム煮込みの鍋のイラスト 厨房の常識アップデート

「煮込みの肉は、まず表面をしっかり焼け。肉汁を閉じ込めるんだ」

そう言われたこと、ないだろうか? フライパンに肉を並べて、焼き色がつくまで我慢して、全面を焼いてから鍋へ。あの先輩の顔が、いま頭に浮かんだ人もいると思います。厨房では、この「強い火で表面に焼き色をつける」ことを、フランス語で「リソレ」と呼ぶこともあります。

ところが、別の日に別の鍋の前で、別の先輩がこう言うわけです。

「その肉は焼くな。絶対に色をつけるな」

同じ「煮込みの肉」なのに、言っていることが真逆。どっちに合わせればいいのか分からなくなって、両方の先輩の前で小さくなった経験がある人もいるかもしれません。

結論から言うと、どちらの先輩も間違っていません。ただし、「肉汁を閉じ込めるために焼く」という理由だけは、今の知見では当てはまりません。焼くという判断は正しくても、その理由が古い、ということです。この記事では、その理由と、それでも焼く意味、焼かない意味を整理します。

店の
流儀

今回の常識判定

「煮込みの肉は、先に焼いて肉汁を閉じ込めろ」

肉汁は閉じ込められない。でも、焼く意味はある。焼くか焼かないかは、どんな煮込みにしたいかで決まります。

この記事でわかること
  • 「焼いて肉汁を閉じ込める」説は、どこから来たのか
  • 焼いても肉汁が閉じ込められない理由
  • それでも焼く先輩と、焼かない先輩、それぞれの正しさ
  • 自分の店の煮込みで、どちらを選べばいいか
  • ローストビーフで「最初に焼くな」と言われる理由

常識の履歴書:「肉汁を閉じ込める」は、19世紀の化学者の説だった

「焼いて肉汁を閉じ込める」という考え方を広めたのは、ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒ(1803〜1873年)だと言われています。料理人ではなく、化学者です。

リービッヒは肉の成分を研究し、1847年には肉のエキスの作り方を発表しています。肉の汁には大事な栄養が含まれている、と考えていた人です。だからこそ、最初に強い熱で表面を固めれば、大事な汁を肉の中に留めておける、という説を唱えました。

当時は、栄養学そのものがようやく始まった時代です。肉の汁に栄養があるなら、それを逃がしたくない。焼くと表面が固くなり、膜ができたように見える。その見た目から「ふたをした」と考えるのは、とても自然な発想でした。実際、この説は当時の料理書にも取り入れられ、そこから長い時間をかけて、世界中の厨房に広まっていきます。

つまり、あの先輩の「肉汁を閉じ込めろ」は、先輩が勝手に言い出したことではありません。150年以上前の、当時の最先端の科学が出発点なのです。

で、実際どうなの?焼いても、肉汁は閉じ込められない

この説は、あとから実験で確かめられています。焼いた肉と焼かない肉を、中心が同じ温度になるまで加熱して、減った重さを比べる実験です。1930年代にはすでにこうした実験が行われ、焼いた肉の水分の減り方は、焼かない肉と同じか、むしろ多いという結果が出ています。

理由はシンプルです。焼いてできた表面の層は、水を通さない膜ではありません。食品科学の本で知られるアメリカの著述家ハロルド・マギーも、焼き色の層は防水ではない、と指摘しています。むしろ、強い熱が当たった部分ほど肉の組織が傷み、水分が出やすくなると考えられています。ただし煮込みの場合、肉から出た水分は煮汁に入るので、そのまま料理の一部になります。

煮込みの肉のしっとり感には、焼いたかどうかより、煮込む温度と時間が大きく関わります。肉の筋(コラーゲン)がゼラチンに変わる仕組みはなぜ煮込み料理の肉はしっとりするのかで解説しているので、あわせて読んでみてください。

ひとくち科学

焼き色と香ばしさを生む「メイラード反応」は、水が沸く温度(100℃)より高いところで勢いよく進みます。

食材がぬれているうちは、表面の温度は100℃のあたりからほとんど上がりません。煮汁の中の肉も同じで、100℃より低い温度でも反応はゆっくり進みますが、フライパンで焼いたような香ばしい焼き色と香りは、煮込むだけではなかなかつきません。

だから「焼き色をつけたいなら、煮る前にやるしかない」のです。メイラード反応のくわしい仕組みはメイラード反応とは何かで解説しています。

それでも焼く先輩が、正しい理由

「じゃあ焼かなくていいのか」というと、そうでもありません。焼く派の先輩が守っているのは、肉汁ではなく香ばしさと色です。

ひとつめは香り。焼き色がついた部分には、メイラード反応でできた香ばしい香りが生まれます。これは煮込んでも後からは足せないので、最初に焼いておくしかありません。

ふたつめは色。ビーフシチューや赤ワイン煮のような茶色いソースの料理では、焼き色がソースの色と味の土台になります。

みっつめは鍋底です。肉を焼いたあとのフライパンや鍋の底には、茶色くこびりついた焼き色が残ります。ここにワインやだしを注いで、木べらでこそげながら溶かし込むことを「デグラッセ」と呼びます。鍋底の焼き色は、捨てるものではなく、ソースの材料です。

「先に炒めてから煮る」という順番の意味は、カレーの例でなぜカレーは野菜を炒めてから煮るのかにもまとめています。

ちなみに「リソレ」はフランス語の料理用語で、強い火で、油脂を使って表面にこんがり色をつけることを言います。厨房で「リソレして」と言われたら、「焼き色をつけて」という意味です。

焼かない先輩が、正しい理由

一方で、焼かないほうが正解の煮込みもあります。代表的なのが、フランスの「ブランケット・ド・ヴォー」です。子牛肉を白いソースで煮込む料理で、名前の「ブラン」はフランス語で「白」。肉に焼き色をつけず、湯通ししてから白いだし(骨や肉を焼かずに煮出しただし)で煮て、クリームや卵黄で仕上げます。白く仕上げること自体が、この料理の狙いなので、焼き色は失敗になります。

ポトフも、肉を焼かずに湯で煮るのが一般的な作り方です。澄んだスープと、素材そのままのやさしい味を楽しむ料理なので、焼いた香ばしさはかえって目立ちすぎてしまいます。

和食の煮物でも、肉を焼くかわりにさっと湯に通して、表面の汚れや臭みを落としてから煮ることがあります。この「霜降り」の仕組みは霜降り(湯通し)で臭みが消える科学で解説しています。

焼かない派の先輩が言う「絶対焼くな」は、手抜きでも気まぐれでもありません。料理の完成形から逆算した、ちゃんとした指示です。

先輩の口ぐせ翻訳

焼く派の先輩

「表面をしっかり焼け。肉汁を閉じ込めるんだ」

訳:焼き色の香ばしさと色を、煮汁ごと料理に移したい。鍋底の焼き色も旨みになるから、焦らず色をつけてくれ。

焼かない派の先輩

「その肉は焼くな。絶対に色をつけるな」

訳:この料理は白く、澄んだ味に仕上げたい。焼き色の香ばしさは、この料理ではじゃまになるんだ。

煮込み以外でも:ローストビーフでは「最初に焼くな」が勝つことがある

私自身、「焼くな」と言われていちばん驚いたのは、煮込みではなくローストビーフでした。レストランで働いていたとき、「塩もリソレもしないで、そのまま火を入れろ」と言われたんです。

ローストビーフといえば、最初に表面を焼き固めるものだと思っていました。でも言われたとおり、塩もせず、焼きもせずに火を入れてみると、断面がまるで違いました。よく見るローストビーフは、外側の2ミリくらいが赤黒くなっています。それが0.5ミリくらいの薄い線だけになり、端までほとんど同じ色に仕上がったんです。先にリソレしたものは、周りがちょっと固くなって、赤黒い部分も厚くなりました。

香ばしさは、仕上げにつけていました。バターで軽く焼いて香りをつけたり、和風に仕立てるときは網で炙ったり。焼くのは「最初」ではなく「最後」、という順番です。英語では「リバースシア」と呼ばれるやり方です。

なぜこうなるのか。肉の赤い色素は、60℃くらいを超えると茶色っぽく変わっていきます。最初に強い火で焼くと、表面の近くだけ急に温度が上がり、中心に火が通るころには、外側に「火が入りすぎた帯」ができやすくなります。湯煎の低温調理でも、低めの温度のオーブンでも、じっくり火を入れれば肉の外と中の温度差が小さくなるので、断面が端までそろいやすいのです。

塩も、表面の色に関わっている可能性があります。塩には肉の赤い色素を酸化させて茶色っぽくする働きがあることが、ひき肉の研究で報告されています。塊肉の表面でも似たことが起きているのかもしれませんが、ここは言い切れないところです。塩を振るタイミングの話は、別の回でじっくり書きます。

ひとつ大事な注意があります。牛の塊肉では、食中毒の菌は主に表面についています。ただし、長く保管した肉や、包丁で切れ目を入れた肉では、菌が内側に入り込むことがあります。さらに、針を刺してやわらかくする処理(テンダライズ)をした肉や、小さな肉を貼り合わせた結着肉は、厚生労働省も中心部までの加熱が必要な肉として扱っています。こうした肉は、低い温度でじっくり火を入れる調理には向きません。

最初に焼かないなら、表面まで含めて、十分な温度と時間で加熱されていることが前提です。食品安全委員会は、家庭で牛の塊肉を低温調理する場合、中心部を63℃で30分、またはこれと同等以上の加熱が必要だとしています。断面の色が赤いかどうかでは安全は判断できないので、芯温計で中心の温度を測ります。仕上げにさっと焼くのは香りづけで、加熱が足りない分を補うものではありません。お店では、保健所の指導とお店の衛生ルールに従ってください。

お店では、どうしている?

お店での答えは、その料理がどんな見た目と味を目指しているかで決まります。同じ店の中でも、ビーフシチューの肉は焼いて、ポトフの肉は焼かない、ということは普通にあります。

焼く場合に、厨房でよく言われるポイントは次のとおりです。

  • 肉の表面の水気を、ペーパーでふいてから焼く
  • フライパンや鍋に肉を詰め込まない。詰め込むと肉から出た水分で蒸し焼きになり、焼き色がつきにくい
  • 量が多いときは、何回かに分けて焼く
  • 鍋底の焼き色は焦がしすぎない。黒くなると苦みの原因になる

焼いた肉は、表面に色がついただけで中はまだ生です。焼いたあとは置きっぱなしにせず、そのまま煮込みの工程に進めるのが基本。ここはお店の衛生ルールに従ってください。煮込みを冷ますときも、大きな鍋のまま常温に置かず、小分けにして早く冷ますのが基本です(農林水産省も、煮込み料理はウェルシュ菌に注意するよう呼びかけています)。

判定:どっちの先輩?
こんな料理勝つ先輩理由
ビーフシチュー、赤ワイン煮、ブラウン系のソース焼く派の勝ち香ばしさと茶色がソースの味と見た目の土台になる
ブランケット、ポトフなど白い・澄んだ煮込み焼かない派の勝ち焼き色の香りと色が、料理の狙いとぶつかる
ローストビーフ(低い温度でじっくり火を入れる場合)最初は焼かない派の勝ち先に焼くと外側に火が入りすぎた帯ができやすい。香ばしさは仕上げに。加熱の基準と店の衛生ルールは必ず守る
「肉汁を閉じ込めたいから焼く」という理由そのものどちらの勝ちでもない(理由が古い)焼いても肉汁は閉じ込められない。焼く理由は別にある

まかない実験:焼いた肉と、焼かない肉を比べてみる

まかないで煮込みを作るときに、自分で確かめられる小さな実験です。結果はお店の肉や鍋によって変わるので、ここでは「見るポイント」だけ書いておきます。

  • 同じ部位、同じくらいの大きさの肉を2つ用意し、重さを量っておく
  • 片方だけ焼き色をつけ、もう片方はそのまま、同じ鍋で同じ時間だけ煮る
  • 煮上がったら、それぞれの重さを量って、どれだけ減ったかを比べる
  • 煮汁の色と香り、肉の表面の香ばしさ、かんだときの食感も比べる

生肉を量ったはかりや皿は、煮上がった肉に使う前に洗うか、別のものを使ってください。生肉に触れた手や道具を、そのまま調理済みの食品に使わないのは、実験でも同じです。

重さの比べ方は、アメリカの科学館エクスプロラトリアムも、焼いたステーキと焼かないステーキで試す方法として紹介しています。数字と味の両方で、「焼く意味はどこにあるのか」を自分の舌で確かめてみてください。

先輩に「焼け」「焼くな」と言われたら

レベル1:「はい」で通す

まずは言われたとおりにやるのが一番です。その店のその料理には、その店なりの完成形があります。焼けと言われたら焼く、焼くなと言われたら焼かない。

レベル2:理由を聞く

少し余裕があるときは、「この料理は、どんな色と香りに仕上げたいんですか?」と聞いてみてください。完成形を聞くと、焼き方や焼き色の濃さの判断が自分でできるようになります。

レベル3:提案する

何度も作って店の味が分かってきたら、「焼き色をもう少し濃くすると、ソースの色が深くなりそうです。一度まかないで試してもいいですか?」のように、料理の仕上がりを軸に提案してみましょう。

逆に、言わないほうがいい一言は「肉汁を閉じ込めるって、迷信らしいですよ」です。理由が古くても、焼く判断そのものは正しいことが多い。理由の間違いを指摘するより、仕上がりの話をしたほうが、先輩もあなたも得をします。

今日から変わること

「焼くか、焼かないか」で迷ったら、肉汁ではなく、完成した料理の色と香りで考える。これだけで、2人の先輩の言葉がどちらもすっと入ってくるはずです。

焼くなら、香ばしさと鍋底の旨みのために、しっかり色をつける。焼かないなら、白さと澄んだ味のために、ためらわず焼かない。どちらも、料理を良くしたいという同じ気持ちから出た言葉です。

この記事のまとめ
  • 「焼くと肉汁が閉じ込められる」は19世紀の説。今は実験で否定されている
  • 焼く本当の理由は、香ばしさ、ソースの色、鍋底の焼き色の旨み
  • 白い煮込み・澄んだ煮込みは、焼かないのが正解
  • 焼くなら、鍋に詰め込まず、表面の水気をふいてから
  • ローストビーフは焼かずにじっくり火を入れ、香ばしさは最後につける手もある
  • 先輩の「焼け」「焼くな」は、料理の完成形の話として聞く

タイトル、ちょっと盛りました度

5段階中2。「絶対焼くな」は、白い煮込みを作る先輩の言葉としては、わりとそのままです。盛ったのは「真逆」のほう。料理が違うだけで、2人の先輩は同じ方向を見ています。

あなたの店はどっち派?

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参考にした資料

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